沿革

草創期・クラス文集の時代

月刊『恒河沙』誕生

 1978年12月14日、78年度入学文科Ⅰ・Ⅱ類8組の4人により、月刊『恒河沙』創刊号が発行されました。創刊号はザラ紙にガリ刷り、袋綴じホチキス止め16ページの手作りクラス文集で、ポエムやエッセイなどが載っていました。翌1月、2号が発行。引き続きガリ刷りながら両面印刷で、化粧断ちまでして美しい雑誌となることを目指しました。このとき「特集記事」が生まれ、また生協書籍部に置かせていただくようになりました。この年は大学共通第1次学力試験の実施された年でもあります。

寄稿を募って

 79年4月発行の3号からは寄稿を広く募り始めたほか、学友会に加盟し、現在まで続くキャンパスマガジンとしての活動が本格的に始まりました。印刷も(有)ギンショーに発注し、装丁が本格的なものになりました。トラメガを用いた街頭販売もこの年からです。また、6号からは駒場寮に編集拠点を置いています。東大についてのオピニオン記事が多く、駒場祭でのセクト間抗争を受けて緊急特集を組んだこともありました。80年ごろには、何度か性や男女論を特集する企画を組み、話題を呼びました。特集以外は寄稿記事が主体で、宮台真司氏の映画評論などが掲載されています。このころのライターたちの多くは『デキゴトロジー』の執筆メンバーだったようです。

(有)ギンショー

 3号以降、かねてより東大本郷の事務のお手伝いをしていた(有)ギンショーに印刷を発注し、オフセット版となりました。この体制は18年度末にギンショーが倒産するまで続きました。現在は(株)栄光に印刷を発注しております。

  • 1978年

    月刊『恒河沙』誕生

  • 1979年

    「特集記事」誕生。学友会加盟。トラメガの使用を開始

発展期・ミニコミ誌の時代

駒場の定番サークルへ

 81年には初期メンバーが一線を退き、サークルとして独り立ちを始めました。お洒落な表紙イラストが彩りを添えています。7月号で特集した「駒トラ(駒場トラディショナル)」という造語がトレンドとなり、いよいよ定番サークルとして定着しました。また、出身校別に留年者数をまとめたロングラン企画「留年者ランキング」が開始しました。82年には学生会館201Aに入居。4月号の定番特集だった「駒場用語の基礎知識」が始まりました。現在は当ウェブサイトにて後継の「駒語辞典」を公開しております。原理研がらみの事件を受け、30号では緊急特集「機動隊がやって来た!」が組まれました。

駒場のメディアとして

 このころの発刊ペースは非常に速く、創業4年あまりで30号を越えてしまいました。83年には駒場のメディアらしく、当時から多数存在した劇団サークルを特集した号も出ています。また、今に続く特集「進振り」が生まれたのもこの年です。人材も豊富だったようで、84年には実に50人も大挙入部しています。同年にはご存じ「山中湖事件」が発生。これによって大荒れとなった自治会選挙の取材記事は貴重な歴史的記録となっています。ちなみに、教室に「ビラ回収箱」が設置されたのはこの年です。

 85年には「東大初の女性誌 mon-mon」なる記事が登場し、隔世の感があります。この年、一旦発刊ペースが落ちますが、翌86年には再び活動が盛んになり、小ネタとして「教官教務逆評定」が誕生しました。49号発行の約1週間後に発行された50号では、初めて過去号を振り返る特集を組みましたが、驚異の編集スピードでした。87年は教官アンケートなど、意識調査系の特集が多かった年です。全体的に特集記事が学生生活向けの情報誌のトーンになる一方、学内の騒動や事件を扱った記事は次第に鳴りを潜めていきます。

留年者ランキング

 「留年者ランキングとは、1981年から歴代時錯社社員らの手によって、19年の長きにわたり綴られた一大叙事詩である(月刊『恒河沙』103号より)」。かつて合格発表を氏名で行っていた時代、これを集計し出身校別の留年者数を算出したものです。灘・開成・ラサールが「留年御三家」と言われました。00年、合格発表を受験番号で行うようになり、終焉。しかし、彼らの残した「留念」は今なお駒場に息づいています。

  • 1982年

    学生会館201Aに入居

  • 1983年

    「進学振り分け特集」開始

  • 1984年

    「山中湖事件」発生

  • 1986年

    小ネタ「教官教務逆評定」開始

停滞期・苦難の時代

新歓の失敗

 88年、新歓に失敗。これから弊社は苦難の時代に突入します。この年の11月、59号を発行して社員は力尽き、しばらく発刊が止まります。それから1年後の89年11月、ようやく60号が発刊されました。翌3月の61号には過去ネタの再録があり、のちの『小ネタ号』の遠祖とも言えます。90年になると企画力も低下し、特集のトピックがほぼ「留年者ランキング」「進振り」「駒場用語の基礎知識」のいずれかのみ、という状況が続きました。91年には新入社員1人、翌92年には遂に新歓での新入社員ゼロという事態に。このころは首の皮1枚の発行体制を取っていたらしく、「鹿児島からの航空便による原稿の発送」なる離れ業も演じられました。しかし、同年の冬学期になってようやく社員が増え、活気を取り戻しました。

『逆評定』誕生

 93年4月、71号が間に合わず、急遽臨時で「教官教務逆評定」を特集した増刊70と1/2号を発行。これが新カリキュラム移行に伴って爆発的なヒットとなり、今に到るベストセラーに。71号からは一気にマックによるDTP化が進みました。94年には早速、『逆評定』が年刊2冊となりました。久方振りのオリジナル特集企画は東日本大震災時の騒動を先取りする「東大放射能map」。「殴りこみ東大模試」など、今の時錯らしいケレン味の萌芽が見られた年でした。

 95年は皆さまご存じの通り、阪神・淡路大震災、地下鉄サリン事件があった恐怖の年でした。『新世紀エヴァンゲリオン』が放映された年でもあります。この年、表紙に初めて弊社のマスコットキャラクター「アッキーくん」が登場。画像入りのエロ系アングラ記事が現れるなど、世相を反映してか、次第に記事もアングラ感があるものが増えていきます。

再び停滞へ

 翌96年に書かれた記事は、バブル後世代らしい気だるいアングラ感が妙に心地よいものになりました。しかし、突如ベストセラーになった『逆評定』の編集方針を巡って論争が発生し、社内は一気に停滞期に突入してしまいます。97年は新入生なし、発行は5月号のみという悲惨な年になりました。ページ数も控えめで、当時の言葉を借りればGNP(Genkou Nainoni Publish)が高くなりました。ゼミの主催など、他の活動をしていたようです。98年にも新入生がいなかったにも関わらず、6月号は90ページの大作となりました。翌1月号には20周年記念号として社史まとめ記事が載りましたが、マニア向けの感は否めません。小ネタはコンピューター関連の記事が多く、情報化の息吹を感じます。

伝説の社員【三茶太郎】

 91年には新入社員が【三茶太郎】1人、翌92年には遂に新歓での新入社員がゼロという事態に。【三茶太郎】は以後、2000年に到るまで留年を繰り返しながら社室を守り(これを「留守」という)、功労者となりました。

『逆評定』の歴史

 『教員教務逆評定』の歴史は、86年4月号に掲載された小ネタ「教官教務逆評定」に始まります。その後、93年4月に71号が間に合わなかったため、急遽「教官教務逆評定」を特集した増刊70と1/2号を発行、翌94年には早速年刊2冊体制に。以来、国立大学法人化に伴い、05年冬学期版(127と1/2号)から『教員教務逆評定』と名前を変えつつ、今日まで弊社の看板商品としてご愛顧いただいております。

  • 1988年

    新歓に失敗。11月号を最後に休刊

  • 1989年

    11月号にて復刊

  • 1992年

    新歓に失敗

  • 1993年

    『教官教務逆評定』発刊

  • 1997年

    新歓に失敗。5月号のみ発行

中興期・情報誌の時代

アブノーマルとアングラへ

 99年、ようやく社室に活況が戻りました。特集の密度が高くなり、情報誌としてのスタイルを確立しました。翌年の新入生向けに作成したエッセンス号は『小ネタ号』の走りとなりました。タイトルロゴが現行のものになったのもこの年です。

 00年、年刊6冊体制が確立しました。98号「敗北者への鎮魂歌」は東大をハミ出してしまった人々に光を当て、アブノーマルへの道を開きました。99号では編集作業が完全デジタル化。100号記念号はカラー表紙に本文128ページの力作となっております。この年、81年から続いてきたロングラン企画「留年者ランキング」が合格発表の方式変更により、終了しました。01年8月22日、駒場寮が強制執行されました。この時の【シャープール】による記録は104号に掲載され(200号に再録)、貴重な歴史的記録となっています。特集に引き続いて小ネタも充実し、題材も現代的になってまいりました。

サブカルの浸透

 02年には下ネタやテニサーネタが現れ、その後の記事の方向性が定まってまいりました。久々に読者投稿があり、「北朝鮮旅行」が掲載されました。『入試予想問題集』が始まったのもこの年で、新入生に『恒河沙』を売ってもちっとも売れないので急遽その場ででっち上げたものを配布したところ、好評だったようです。03年には低平均点ネタなどのアブノーマル記事で「駒場のアングラ」としての地位を明確にしました。05年になると「鬱」「ヒッキー」など、世相を反映した題材が現れます。次第にデザイン性も向上していったのがこの頃です。

 06年、『涼宮ハルヒの憂鬱』がアニメ化され、大ブレイクしました。それに呼応するように社内にもサブカルがジワリジワリと浸透。「ツンデレ」などのワードが散見されるほか、漫画のコマを切り抜いてキャプションを付ける表現が行われ始めました。また、この時期は地味に鉄ヲタ社員が多かったようです。

『エッセンス号』と『小ネタ号』

 『小ネタ号』の遠祖は61号で過去ネタの再録を行ったことにありますが、その本格的な始まりは00年2月に発行した『95号(エッセンス号)』です。『エッセンス号』は主に前年度の『留年者ランキング』、『逆評定』や小ネタから面白いものを選り抜いて掲載したもので、新入生向けの前菜のようなものです。142と3/4号(08年4月発行)まで続き、翌年の『小ネタ号 Vol. 2』の発行を以て発展的に解消されました。

  • 2000年

    年刊6冊体制を確立

  • 2001年

    駒場寮強制執行

  • 2002年

    『入試予想問題集』配布開始

爛熟期・娯楽誌の時代

それが、時錯あおリティ

 07年、社室がキャンパスプラザB311号室に移転。4月号の表紙にアニメネタが登場しましたが、まだ控えめです。テニサーを論評する記事や、画像ネタ、社員同士の煽り合いが盛んになり、娯楽誌としての側面が強調され始めました。08年には特撮マニアの【帰国処女】を主演に据えた自主製作映画「逆評定アルティメット活用術」を公開。娯楽誌としての極大期を迎えました。

体当たり系小ネタの隆盛

 09年になると倫理性の異常な社員が入社し始め、エンターテインメント重視の記事作りが始まります。このころの宗教ネタや電波系の妄想ネタはかなり高度な仕上がりになっております。これらの傾向は翌年度にも引き継がれました。

 11年、震災にもめげず、弊社は業務を継続しました。電波系から次第に体当たり系の記事が増えてきたのがこの頃です。12年には94年から続いたご長寿企画「殴り込み東大模試」が惜しまれながら終了し、一つの節目を迎えました。13年は自己の思想を表明するエッセイが多くなる一方、特集記事の完成度は高く、雑誌としての総合力が高まった年です。また、『殴り込み東大模試 特撰編』『同 総集編』が出版され、『赤本』に繋がるテーマ別総集編の嚆矢となりました。その反面、締切破りや校正の不備が横行する結果ともなりました。

 14年、社室が再び学生会館101Bに移転しました。この年はアクの強い新入生が多く、分かりやすく面白い、ストレートな下ネタや小洒落たデザインの記事が愛されました。またOBの寄稿が目立ち始めます。そして、『入試予想問題集』が始まってから12年が過ぎ、良質な問題が溜まってきたことを受けて『東京大学入試予想問題集(2002~2008年度)』を発行いたしました。また、アベノミクスの効果もあってか、例年の数十倍の余剰金が発生し、東京大学基金の「安田講堂改修事業」に30万円を寄付いたしました。これにより、改修後の安田講堂の椅子の1つに弊社の社名を刻ませていただくことになりました。機会があれば探してみてください。翌15年には、前年の反動か、新入生による文芸・批評寄りの古風な記事が増えました。とはいえ2年生以上のエンタメ路線記事と合わせて読み応えのある号が増えました。なお、学事暦の変更に伴い久々に1月号が休刊しております。

40周年を迎えて

 16年には久々に新入生が2人のみという逆風に遭うも、3、4年生や留年生の力添えにより程々に活気が保たれておりました。ただし、その結果として記事執筆者の高齢化が深刻化しました。なお、この年の駒場祭ではなんとピックアップ企画に選ばれ、そして摘発ピックアップされております。17年は新入生は平年並みに入ったものの、11月の199号の編集までに疲弊してしまいました。そうした事態に拠点を本郷に置くOBが協力を申し出て、「40周年記念事業」として記念すべき200号が刊行に漕ぎ着けたのであります。年度末には諸事情により社室を移転し、キャンパスプラザB309に入居、4年ぶりにアニメーション研究会さんと相部屋となりました。18年度末には208号の入稿をするため(有)ギンショーに連絡を差し上げたところ、営業を停止しているとの返答が。40年の長きにわたり、大変お世話になりました。以後は(株)栄光に印刷を発注させていただいております。

 19年度には遂に『逆評定』アンケートにGoogleフォームを導入。社員は東大生の汚い字を読み取って活字起こしする非人間的労働から解放されることになりました。以来、弊社はディーセントワーク(やりがいのある仕事)の推進に力を入れております。しかし、この年はアニメーション研究会さんの毒電波のせいか、社員の生命力は逆に低下。息も絶え絶えのまま、6月にはbiscUiTさんと合コンをさせていただきました。社員の高齢化はピークに達し、夏休み明けには締切が地に堕ちて、11月号では緊急措置として用紙を厚くしてボリュームを確保しました。

「殴り込み東大模試」

 94年に始まった10月号の定番企画で、夏休みを利用して東大模試に潜入し、受験生や採点者をおちょくるような名前や回答をぶつけてくるというもの。12年、リレー受験がS台の試験監督にバレ、出禁を食らったため惜しまれつつも企画を終了しました。

『入試予想問題集』と『赤本』

 『入試予想問題集』は02年、新入生に『恒河沙』を売っても仕方がないので急遽でっち上げたことに始まります。しかしそこから例年の企画となり、12年を経て過去問が溜まったことで14年には過去問題集『東京大学入試予想問題集(通称:赤本)』を発行。以来ページ数と厚みを増し続け、22年発行の『赤本(2016~2022年度)』に到ってページ数は260ページ余り、定価1300円とあいなってしまいました。

  • 2008年

    「逆評定アルティメット活用術」公開

  • 2012年

    「殴り込み東大模試」終了

  • 2014年

    『赤本(2002-2008年度)』発行。安田講堂の椅子に弊社の社名が刻まれる

  • 2017年

    翌年の40周年に向け、200号記念号を発行

  • 2019年

    (有)ギンショー倒産。『逆評定』制作にGoogleフォーム導入

再興期・引き続き娯楽誌の時代

業務のリモート化と『逆評定』無料公開

 20年には社室を学生会館地下003に移転。地下サークルとなった途端に学生会館が閉鎖。PCを社員宅に移転し業務を続行、リモート化が進展いたしました。この年のSセメスター版逆評定は、納品後にウェブでの無料公開を決断いたしました。その際、クラウドファンディングで150万円を越えるご支援をいただきました。その節は、読者の皆さまには大変お世話になりました。ちなみに、この年の秋に広告研究会さんもミス・ミスターコン開催のためにクラウドファンディングをされたらしいですが、弊社より遥かに少額しか集められなかったようです。Twitterのフォロワー数も2000増加し、幸福の科学【公式】に迫る勢いとなりました。

 本誌『恒河沙』の発刊も、11月号の1号のみとはいえ、なんとか継続することができました。また、休刊となった4月号の代替措置として、特集記事「履修の手引きの手引き」と「駒語辞典」をウェブ版に移行いたしました。今後も更新してまいりますので、是非ご一読くださいませ。

ウィズコロナ時代へ

 21年にはウィズコロナ時代に突入。『恒河沙』もほぼ平年通りの年5刊に加え、進学選択特集を6月に延期し、代わりに『2020総長選特別号 黒の巨塔』を発行。藤井輝夫新総長の選出の際、流出した「東京大学総長選考会議」の録音を弊社独自のルートで入手し、総長選考の闇を暴きました。

  • 2020年

    『逆評定(Sセメスター版)』、無料公開。クラウドファンディングで制作費調達

  • 2021年

    『2020総長選特別号 黒の巨塔』発行